新曲作成開始
本当にご無沙汰しております。
この数年間は、色々と新しいことに挑戦しており、中々楽曲制作をする余裕がなかったのですが、今年2月に色々な出会いや別れを体験しまして、その思いを曲にするべく作曲活動を再開しました。
それ以前に、今年はアルバム作成に取り掛かろうとも思っていたので、記念すべき1曲になりそうです。
出来上がり次第、お披露目(場所は考え中)しますね。
本当にご無沙汰しております。
この数年間は、色々と新しいことに挑戦しており、中々楽曲制作をする余裕がなかったのですが、今年2月に色々な出会いや別れを体験しまして、その思いを曲にするべく作曲活動を再開しました。
それ以前に、今年はアルバム作成に取り掛かろうとも思っていたので、記念すべき1曲になりそうです。
出来上がり次第、お披露目(場所は考え中)しますね。
最近アイデアが浮かばない。
眠ったまま起きなくなったどこかのお姫様のよう(んなわけない)に、イメージすらもぼやあんとして口をつくこともない状態。
かと言って、全く夢を見ないわけではなく、むしろ最近は夢をよく見る。
続きもののドラマのように毎晩前日の続きを体験する。
ただ、全て等身大の自分ではなく、時には車屋で宣伝に苦労してもがいている営業マンにだったり、時には最高のおもてなしで人生の記録を刻むカメラマンだったり、そして時には、その日暮のしがない浪人だったり(最後だけ時代が違う)と、バラエティに富んだストーリーの中を旅しているのだ。
その中の1つに、歌を歌う自分がいて、渾身の曲だと得意げに大声で歌うも誰も立ち止まらない日もあれば、暇つぶしに作った歌を脱力感たっぷりで歌えばドームで大喝采を受けてなんとも複雑な心持ちの日もある。
では、その曲たちはというと、ミスチルの某歌よろしく、朝起きると全く覚えていない。
何でもいい、どっちでもいいからメロディを思い出せればいいのであるが、起きた瞬間に微かな映像と共にぱっと消えて失せる。
何か方法はないだろうか。
もしかしたら、寝言を録音してみれば、何か糸口は見つかるだろうか、と思う今日この頃である。
あと、01Xには豊富なエフェクトも搭載されていたが、僕の能力では使いこなせず、結局Cubase内のエフェクトのみを使っていたというのもある。 今考えると高い買い物になってしまった。(ん、今の環境で使えるかを吟味したほうがいいかもしれない)
さて、僕のレコーディング環境の現在にようやくたどり着いた。 前述のシステムでPassingsを録ったあと10数年このシステムを使用した音楽制作からほぼ遠ざかっていたからだ。
今の僕はというと、iPhoneやiPadが登場してから、AppleのGarageBandを使って気軽なものばかり作るようになった。
最初はGarageBandをCubaseで曲作りするためのメモアプリとして使う予定で、いろんなメロディーやコードを思いついてはメモとしてトラックに録っていった。それを聞きながらCubaseで改めて一から録り直すことを考えていたのだ。
つづく。
何故、色々と店員さんと相談しながら、自分の夢を実現すべく、切ない予算の中から思い切って購入に踏み切ったYAMAHAの01Xが僕に合わなかったかというと、僕の頭はかなりのデジタル脳だったということだ。
これは、どういうことかというと、基本的に耳で聞いて各トラックのボリュームやイコライジング、パンニングを調節するのであるが、僕の場合数字に重きを置いてしまっているのだ。 つまり、「もう少しボリュームを上げよう」と思ったとする。その時に適当にボリュームを上げていくのではなく、数値で上げようとしてしまうのだ。「あと0.2あげて」、とか「PANを左75にしよう」とか。
そうするとアナログ的に自由に操れるはずのスライダーを信用できなくなり、結局画面内のスライダー、というか数字をいじってたのだ。 これには大誤算だった。
つづく。
それから、当分の間、約6年、アルバムで言うとWhimsiesからPassingsまでCubasisを駆使し、曲作りを行った。機材として変わった、細かく言うとRealizationsの途中くらいからCubaseに移行した。
CubaseはDAWアプリとしては僕にはもったいないほどのポテンシャルがあり、トラックを多用することぐらいしかできなかった。それでも、少し古いデスクトップやノートPCではさすがに動きが重たくなったため、音楽作成特化のPCを作り、その時にオーディオインターフェイスも思い切ってYAMAHAの01Xに変えた。
その当時僕の中でやってみたかった事の一つに、「マウスでモニター上のミキサーを動かすのではなくて、実勢のミキサーを触って色々調節したい。」というのがあったからだ。 それを体現してくれそうだったのがYAMAHAの01Xだった。
しかし、ことのほか、イメージ通りにいかなかったのであった。
つづく。
そういえば僕のマイク歴を紹介していなかったことを思い出した。
カセットテープMTR時代は、どこのブランドだか覚えていないが、友達が持ってきた、とても軽いマイクだった。 しかしその当時は、音質よりも録音ができる環境が整ったこと自体に感動していたので、どんなマイクであろうが、あることに意味があり、とても満足していた。
それがCakewalkの頃になると、少し知恵が付いてきて、少し良いマイクを手に入れたいと思い、いろんな本や人から情報を得てSHUREのマイクが良いということを知った。そして、とりあえず持っておけば間違いないといわれるSM58というマイクを手に入れた。
細かいことは疎いのでわからないが、ボーカル録りするなら問題ない。それどころか、テレビなどでマイクに注視していると、ほとんどこのマイクが使われていてびっくりした。
その後、アルバムWhimsies以降はまたボーカル用マイクは変わってくるのだが、それはまた後程記そうと思う。 が、メロディー作り等で気楽に使用するときは未だにSM58を愛用している。
つづく。
とにかく、次のDAWソフトを探すことになった。 次はサウンドレコーディング等の雑誌を見て、値段を考慮し(ほぼ値段が決定的だったのだが)SteinbergのCubasis VSTにした。
Cubasis(注1)はCubase VSTの入門用アプリで、トラック数が少ないがすごくパワフルなアプリだった印象。 打ち込みというより、レコーディングアプリというった趣の為、当時の自分は、すべて手に入れた様な気持ちになったのを覚えている。
使ってみて、一番びっくりしたのは今まで外部音源を使って鳴らしていた打ち込みがPC内のみで完結するということでした。これによりMIDI外部音源とおさらばしたのでした。 音源のクオリティーも十分だったように思います。
この頃作ってた曲は全て3枚目のアルバムに入れました。 この当時は楽曲・詩ともにアイデアに溢れ、個人的に一番多彩な時期だったなと思っています。 あの頃の自分に未だに嫉妬したり(笑)
つづく。
(注1)一時消えてしまったものの、現在はiPad用のアプリとして復活している。
Rolandは独自のGSフォーマットという規格で、Rolandが決めた音色の順番でした。 ただ、世界的には(というか徐々に)GMフォーマットというもが基準となっていて、 Roland製のソフト以外を使おうとすると、音色を選ぶときにずいぶんと困惑した。 例えば、GSフォーマット番号1のピアノの音をGMフォーマット基準のソフトで鳴らそうとすると、番号10を指定しないと鳴らなかったり、また、その当時持っていたKORGのM1はGMフォーマットだったので、それをCakewalkで鳴らそうとすると、その逆をしなくちゃいけなかったり。
説明してて、たぶん理解をしてくれる方々は同年代の方々だけで、今の若い世代にはなんのこっちゃわからないだろうな、と思いながら説明してみた。 でも、これもDAWの歴史の面白いところだと思う。
昔、ビデオテープの規格でベータとVHSが争った、あの時のように。
つづく。
自分のミスを棚に上げて、『Cakewalk』のせいにした挙句、「自分の曲がもっとうまくいったはず」などという傲慢な終盤で幕を閉じた前回を振り返って、少し反省。 『Cakewalk』の良かったところは(あくまでも、自分の意見ですが)、ミュージ郎譲りの打ち込みのしやすさだったと思う。
後々のDAWソフトよりも1音1音の音を確かめやすい(詳細は次回以降に出てくると思います。)から、ピアノやベースを打ち込んでいる時でも入力前に確かめながら和音を構成できる。 使っているときは、当たり前だと思っていたちょっとした仕様も、後になってとても考えられた素晴らしい機能だったんだと気づき、新しいDAWソフトとの操作性の違いに慣れるまで、イライラしたのを思い出した。
あと、当時の面白勝ったことといえばMDI規格の違い。 このMIDI規格とは音色の順番(No.1はピアノ、No.2はオルガン、とか)を決める規格。
つづく。
もう少し細かく言うと、曲データには、音を記録する度に音データがファイルとして増えていき、それを、どの時間の、どのトラックに、どのようなエフェクトをかけて配置するか、を記録したのがプロジェクトファイル。
僕が移行したと思っていたファイルはプロジェクトファイルのみだったので、それらを開けても当然「音データが見つかりません、場所を教えてください」とCakewalkくんが訪ねてくる。
僕が「もう捨てちゃったよ」っていうと、「では、仕方ありませんが、この曲は再現できません。」と返ってくる。
その当時作ってた曲達は、演奏技術の質もさることながら、ミックス後の音のバランスも悪く、やり直したい曲ばかりであったのに。 『草原にて』や『BYE BYE』など、もう少し手を加えてたら名曲になったに違いない。
そこで、もうこれ以上Cakewalkに戻っても意味がないと感じ、次のDAWソフトを探始めたのだった。
つづく。